真保裕一特別インタビュ―(第3回)

 『チャウの故郷』の少年たちに会って
ベトナムへの見方が変わった



 週刊誌連載はペースを掴むのがむずかしい


――『週刊現代』の連載は15回を超えましたが、ここまで書いてきての感想をお聞きしたいと思います。『奪取』は新聞に連載したものだったのですが、真保さんは、以前、別のインタビューで「新聞連載は一話が原稿用紙3枚分で書きやすかった」という話をしていました。それに対して週刊誌の連載は、一話は原稿用紙16枚前後というわけですが、十数回分書いてみてどうでしょう、慣れてきましたか?

真保  ・・・・・・うーん、予想していたよりも大変でしたね、ようやく慣れてきました。

――週刊誌の連載のどこが大変なんでしょうか?

真保  やはり一話一話の分量ですね。新聞連載のように一話が3枚程度なら、その中でなにか一つ、目新しいできごとや読者の目を引きつけられそうな事柄があれば、それで成立するようなところがあるんです。

――極端にいえば、登場人物の仕草の一つでも、読者の関心を引ければ、なんとかなってしまう、とか。

真保 そう。そして、1週間なり2週間という大きな括りのなかで、山場を一つ作るように展開していけばいいんですよ。ところが週刊誌は、そうはいきません。16枚なら、やっぱりシーンを二つは入れたいと思うんですが、それが結構難しい。書き込んでいくと、下手をするとワンシーンだけで一話が終わってしまう。そうすると、もちろん多少は動きがあるのですが、その回はなにも起こらなかったような気がして、物足りないんじゃないかと心配してしまうんです。

――本当は、ガンガン書き込んで、16枚をワンシーンでいってしまいたいと思っていても、話を展開させるためにあえてシーンを変えたり、ということがあるわけですね。

真保  そうです。もっとも、あえて意識してワンシーンだけで終わってる回もあるんですけどね。物語の舞台状況の説明をしなければならないとき、たとえば、ベトナムの政治や社会状況を説明するときなどは、どうしても枚数が必要になる。ベトナムの警察組織の話を書いた15回目がそうですね。

――単行本になってから読むときには、長いシーンがあってもそれは読みごたえがあっていいと思うんですが、連載の一話一話を意識して書いていくのは大変ですね。

真保 一話の後半部分で「引き」なり「山」があるのが理想ですね。ところがそれがなかなか理想通りにいかないのが現実ですね(笑)。自分の作風としては16枚ではちょっと短いなというのが正直な感想です。書いてみてあらためて思ったのですが、20枚から30枚ぐらいで一つの山があるというのが自分のペースなんですね。読者の皆さんも、毎週盛り上がりを期待せずに、この作品は2週に一度盛り上がるという前提で読んでもらえるといいですね(笑)。


 ベトナムは「特殊な国」だとは思わない 


――なにをおっしゃる。そうはいっても、毎回、ボルテージはガンガン上がってますよ。真保さんは小説を書くときに、プロットをきっちり立ててラストシーンまで決めたうえで書き始めるといっていました。それでも、いざ実際に書いてみると、プロットの段階の構想と変化はあるのでしょうか?

真保  それも実は結構あるんです。ベトナムのことをいろいろと調べていくうちに、どんどん興味が強まっていきまして・・・・・・。たとえば日本と比較してみると、明らかに差の多い国ではあるけれど、知れば知るほど「ああ、どこの国も似たような状況があるんだな」ということがどんどん出て来るんです。

――ベトナムという国が、いろいろな意味で特殊な場所のように見えていたのが、実はそうではないと思えてきた、ということですか。

真保 ええ。日本にだって、いまこそアジア一の先進国だという顔をしていますが、もとをたどれば結局は同じアジアの国なんだと思うところがたくさんありますしね。そういう意識が、取材の前よりも大きくなってるんです。ただ、そういう自分の気持ちをどこまで書くか、どこまで書かないで抑えるかによって、『黄金の島』という作品の行く末も変わってくるでしょう。

――なるほど。それは興味津々ですね。ベトナムに対する思いが大きく変わったのは、やはり取材で実際にベトナムに出かけたことが大きかったのでしょうね。

真保 いまにして思えば、一番大きかったのは、ホイアンで日本人の墓に行ったときかなあ。あのとき、僕たちのあとを近所の子供たちが10人くらい、ワイワイいいながら、どこまでもついてきたでしょう。その印象がかなり強く残っていて、主人公のチャウは、あそこで会った子どもたちをちょっと大きくした感じで書いてるんですよ。

――へえ、あれがチャウの故郷のイメージなんですかあ(編集部注=ホイアンはベトナム中部の町で、16世紀に御朱印船貿易により日本人が多く住み着いたとされる。日本人が作ったとされる橋があるほか、町外れの民家の軒先や田圃のど真ん中にポツンと『日本人の墓』が残されている)。

真保 小説では、チャウの出身地は、ベトナム中部のホウザンという架空の町に設定しているんです。

――いわれてみれば、2〜3年前のチャウが、あのなかにいてもおかしくないですね。

真保 あの子どもたちのなかで、一番賢くて頑張り屋の少年が、都会に出てきたというのが、チャウのイメージですね。

――なるほどねえ。それにしても、あのガキども・・・・・・いや、子どもたちですか。彼らは、しつこかった・・・・・・いや、元気でしたねえ(笑)。カネよこせ、記念品にボールペンよこせと、いつまでもついてきて、真保さんは、ちょっと困ってたんじゃないですか。

真保 しかし、ちゃっかり参考にしてしまった(笑)。あの子たちを見て、子どもたちが考えることというのは、日本の子どももベトナムの子どもも、あまり変わらなんだなあということを強く感じたんです。国の貧富といったら失礼かもしれないけれど、そういった差が多少ある程度で、本質は変わらないと思うんですよ。よく考えたら、自分が子どものころも、大人に「水羊羹買ってくれよ」とかいってましたから(笑)。

――いってた、いってた。「カネくれ」ともいった。

真保 「きなこ餅が食いたい」とか。

――「水羊羹」「きなこ餅」というところに、年代を感じますね(笑)。



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