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● 第31回〜第35回 ●
〜修司の心配、トゥエイの秘密〜
日本へ向かう船が出る日が近づくにつれ、チャウやティエップたちは日に日に浮
き足立ち、また修司の心配は募っていった。
最初にティエップ一人が船で日本に渡って金を稼ぎ、仲間に送金する。その金で
仲間が日本に渡る・・・・・・そういうティエップたちの計画は理解できるのだが、船賃の金額がどうも安すぎるのだ。
船の大きさは12メートル級、船賃は金で70グラム、ドルにすると1000ド
ルと少しだという。修司が磯貝から仕入れた話では、日本へ向かう船の相場は、最低
でも2000ドルだという。心配になった修司は、公安と船主がぐるになって外国へ
わたろうと夢を抱く者たちを食い物にしている現実があることを話した。だが、その
話を聞いたティエップは、口元に笑みを浮かべてこう言うのだった。「そんな話は、
この街になら、いくらでも転がっているよ」
*
そんなある日、修司が四区の運河沿いのビア・ホイで、ハリダ・ビアを喉に流し
込んでいたとき、目の前に二十歳前後の女が立ち、たどたどしい日本語で話しかけて
きた。
「コンバンワ」「ココ、イイデスカ」
運河沿いのビア・ホイで修司の前に立った女は、日本語で話しかけてきた。腿に
ぴったりとしたジーンズ、胸元のあいたシャツ、深紅に彩られた唇。
「君は人違いをしている」
修司は素っ気ない対応で相手にしなかったが、女は聞く耳も持たずに、修司の横
の席に素早く腰を下ろした。
「ニホンノヒト、デスヨネ?」
「君もそうやって金を稼いで日本に行くつもりか。日本に行っても追い返されるだ
けだ。日本が難民を受け入れているなんて話はでまかせだ」
「嘘・・・・・・」
ビア・ホイを出てからも、女は5メートルほど遅れてついてくる。
女は、日本が難民を受け入れていないという話は本当なのかと訊ね、さらに、そ
れならばなぜ、日本語を教えているのかと聞いてきた。みんなをその気にさせて、陰
で笑っているのか、とも言ってきた。
この女はティエップたちと知り合いなのか、この女も船に乗るのか、女の日本語
はどこで覚えたのか・・・・・・女は修司に背を向け、振り向こうとせずに路地へと消えていった。
*
いっぽう、しばらくぶりに市場に近い食堂を訪ねたチャウは、トゥエイが突然店
を辞めたことを知った。食堂の経営者の婦人は、トゥエイを「恥さらしだ」「うちに
は置いとけないから追い出した」という。トゥエイはいまは友達の家にやっかいにな
っていると聞いて、チャウは乏しい情報を頼りにトゥエイを探した。
そこで見たのは、別人のように化粧を濃くして街に出ていくトゥエイだった。食
堂で働いていたときよりも何倍も綺麗だったが・・・・・・トゥエイがどんな仕事をしているのか、チャウにも想像がついてしまった。
チャウに気づいたトゥエイは一瞬息を呑んだように身構えたが、すぐにチャウか
ら視線を逸らし、立ち去ろうとした。
「ねえ、ティエップは知ってるの?」
チャウの問いを無視して、トゥエイは友達のモトの後ろにまたがって、去ってい
った。
〜船が出る日、仲間との別れ〜
カイがトイレの壁板を外し、新聞紙でくるんだ包みを取り出した。中身は金の地
金と指輪だ。総額3000ドル近くなっている。カイが無言のまま、1000ドル分
、二つの指輪と一番小さな地金を取り出してティエップに渡した。
「見送りには行かない」
「分かってる」
「頼むぞ」
「・・・・・・・ああ」
頼むぞという言葉の裏に隠された言葉と真意を、ティエップは十分承知していた
。トゥエイを頼むぞ・・・・・・カイはそう言ったのだ。 本来なら日本に行くべきなのはカイのほうなのだ。
また、トゥエイが働いている食堂を初めて見つけたのもカイだった。その食堂が
立ち退きを迫られるかもしれないと知り、その黒幕を突き止めたのもカイだった。死
体で発見されたウォック・リーにことさら目をかけられていたのもカイだった。
カイは何も言わない。
無口な男から託された願いはなによりも重く、ティエップの胸に根を下ろしていた。
*
出発の前日にあたる金曜の深夜は、日本語教室の日に当たっていた。どこから噂
になるか分からないのでタチバナにも出発の正式な日は伝えていなかった。
だが、気配を察したのか、タチバナが一枚のメモを差し出してきた。そのメモに
は日本語とローマ字が書かれていて『ミチナリ・カンダ』と読めた。
タチバナの友人で、元はヤクザだがいまは小さな鉄工場を経営しているという。
いざとなったらこの男をたどれ、とタチバナは言う。
「船に乗り込む前に怪しいところがないか調べろ。食料や燃料を十分積んでいるか
どうか、真っ先に確認しろ」
「分かりました、ミスター」
「達者でな」
タチバナが右手を差し出してきた。それをティエップは強く握り返した。
タチバナと握手をして別れ、仲間ニも別れ、ティエップは深夜のサイゴンの街を
走っていった。メモを頼りに住所をたどり、トゥエイを迎えに行った。
そして手を堅く握り合い、二人で船着き場に向かった。そこにはトラックが一台
止まり、今回の船のブローカー役の男が待っていた。
「悪いがここで前金をもらえるだろうか」
船が出る直前に前金として半額を渡し、残りの半金は沖へ出る漁船に乗り換える
ときに渡すことになっていた。ティエップは布に包んだ金の指輪を差し出し、トゥエ
イは小さな金の地金を二枚差し出した。
男は掌で重さを量り、ナイフを取り出して指輪にあてがい、本物の金かどうかを
確認した。ティエップが驚くほど、簡単なチェックだった。
「じゃあ、出発しようか」
男が先に立って歩き出すと、トゥエイがすぐにティエップの腕にしがみついてきた。
(99年 5月22日号〜99年6月19日号掲載)
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