悲しいくらいに「何も知らない人々」

 3人は、いずれもハイスクールを卒業していた。アメリカがどこにあるのか知らない日本の高校生がどれだけいるだろうか。彼らは世界地図を見たことはある、と言った。しかし、日本やアメリカの位置や、ベトナムからの距離について、まったく知識がなかった。場所と距離が分からないのだから、ボロ船で大海原へ漕ぎ出そうという暴挙にも頷ける。彼らは沖へ出て初めて、こんな船では波に呑まれて死んでしまう、と思い知らされるのだ。香港の難民収容所へ入れられた時も、まず胸に去来したのは、これで死なずにすむ、との安堵感だったという。

 真実、彼らは幸運だった。ベトナム沖で海の藻屑となって消えた難民船が、どれだけあるか分からないのだから。そんな現状すら、彼らは知らなかった。日本に漂着できれば、すぐ仕事にありつけると思い込んでいた。

 彼らは何も知らされていない。映画やテレビの中でしか、アメリカや日本を知らない。同胞がどれだけ死んでいったかも。そして、今なおビデオや冷蔵庫のある生活を夢見て、アメリカや日本へ行きたい、と願っている。

 元難民の一人は、失業中だった。兄は猟師をしているという。なぜ君は猟師の手伝いをしないんだ、と私は聞いた。猟師の仕事は経験と技術がいるので大変だから。では、その技術をなぜ得ようとしない。彼は曖昧に笑い返すだけだった。帰り際に、彼は言った。

「何か仕事があれば言ってくれ。あんたたちの手伝いなら何でもやる」

「君にやってもらいたい仕事はないよ」

その時の通訳は、地元の大学の先生に頼んでいた。ベトナム人のエリートは、うつむきがちに答えてくれた。

「彼らは何も知らないんだ。何もね」

 なぜ本当のベトナムを報じないのか・・・

 日本のジャーナリストは、政治難民には多少の関心を示しているように見える。しかし、経済難民は、食いつぶれて居場所をなくした、ろくでもない連中ばかり、と思っているに違いない。だが、政治難民のようなエリートたちではなく、経済難民にこそ、その国の実状は現れる。それを報道しない彼らは、何を現地で見ているのだろうか。それとも、ベトナム政府に遠慮して、現状を何も書かず、綺麗事の記事で紙面を飾ればそれで読者には充分、と考えているのだろうか。

 今回の旅行には、何冊かのベトナム関係の本を持っていった。そのうちの2冊が、新聞記者の書いたものだった。それをベトナムの地で読み、ゴミ箱に投げ捨てたくなった。1冊は、日本に上陸した政治難民の後追い調査をした、甘ったるい感傷に満ちた記事の寄せ集めだった。もう1冊は、タイトルがすごい。『観光コースでないベトナム』というのだが、その中身は、観光コースでしかないベトナム、以外の何ものでもない。『地球の歩き方』シリーズの出回っている今、それをなぞったベトナム縦断旅行記を新聞記者が書いて、何になると思っているのだろうか。あとがきを読む限り、それで、真のベトナムの姿が見えてきたと考えているのだから、馬鹿馬鹿しくて開いた口がふさがらなかった。

 もちろん、私もただの観光客で、ほんの8日間ベトナムに滞在しただけである。何が分かったと言うつもりはない。ただ、何も知らなかったという事実を思い知らされて来ただけだ。だから、この程度の旅で、知った気になどは絶対にならない。なってたまるかという、思いがある。

 笑顔の「陰」にあるものは

 おっと、いけない。つい社会派の本領が出てしまった。これだから、私の小説はお堅いイメージがつきまとい、女性読者が増えないのだ。反省。

 閑話休題」」。その国を手っ取り早く知るには、庶民が買い物に行くマーケットへ足を運ぶに限る。そう考えて、かつてはチャイナタウンだった街、チョロン地区へ出かけてみた。

 ビンタイ市場の周辺は、商品、人、バイクの洪水だった。米や野菜や南国のフルーツが籠からあふれ、怪しげな電化製品が路上を埋める。露店に挟まれて道幅一メートルもない路地にまで、荷物を載せたバイクが進入する。あちらでは商品の上に腰を下ろしたおばさんが札束を数え、こちらでは仕事に飽きた男たちが道端でカード博打に興じている。放し飼いにされた鶏が鳴き、売り買いの喧騒と熱気が渦巻く。アジア諸国の例に洩れず、ベトナムでも、やはり女性のほうがよき働き手となっているようだ。アジアの母は強し。

 低所得者層の住む、4区のスラム街も、重要な取材ポイントだった。外国人だけで歩くのは危険なので、同じ4区に住むベトナム人にガイドを頼んで歩き回った。カメラは厳禁。手荷物もなし。その理由はもちろん、危険だから。とはいえ、住民たちはのんびりと道端で昼日中から過ごし、私たちに笑顔さえ向けてくれた。その笑顔に騙されてはいけない。S氏やH氏は、何度もかっ払いや盗難に遭っているのだという。4区はそんな犯罪で生計を立てている者が多いらしい。

 さて、小説に登場する予定はないのだが、同行編集者K氏のたっての希望もあり、「ビヤ・オム」という飲み屋への取材も敢行された。ビヤはビール。オムは、抱く、との意味で、店内は薄暗い小部屋になっており、隣に女の子がつく、と言えばだいたいの想像はつくだろう。昼間に取材させてもらったシクロの親父が、どうしても案内したい店があるといって聞かず、連れて行かれたのは、何と、その日に取材した危ない4区にあるビヤ・オムだった。そこで我々を待ち受けていたものは……。

 その顛末を詳しく書きたいのだが、もう枚数がつきてしまった。うーむ、残念。


(編集部注・この『取材記』は、小説現代・98年5月号に掲載されたものを再録しました)



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